鬱が寛解して個人事業主として生きていくまでの体験談

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この記事は私が経験した心と体の不調を記事にしてみなさんの手助けになればいいと思い書きました。

オレが鬱を自覚したのは中学生の頃。

幼い頃から引っ込み思案で人見知りの激しかったオレは

 

仲間に入れて

 

の、一言が言えない子供でした。

本を読んでお絵描きしてる記憶がほとんどで、野山を駆け回ったり、スポーツしたりって記憶はあまりありません。

 

きっかけはいじめでした。

 

小学校4年の時、肥満児にだけ渡される手紙を貰った時にからかわれたのを皮切りに、罵詈雑言、物を隠される等のいじめの対象になり、6年の夏休みにダイエットで激痩せするまで続きました。

いじめは収まりましたが、心の傷は深く、次第にやさぐれて行きました。

母親に

 

最近目つき悪いよ

 

と、言われた頃には小学時代にオレをいじめてた人達にビビられる様になり、

 

あの時はゴメンね、ね?

 

などと言われる様になってしまいました。

類は友を呼ぶで、オレの回りには家庭環境に問題があったり、素行不良な友達が増えていきました。

彼等、彼女等は親の離婚や虐待、貧困により差別や迫害を受けた

 

不幸の連鎖が産み落とした哀しき産物

 

でした。

しかし、彼等は素行不良ではありましたが、痛みを知る者に対してはとても優しく、彼等との生活はオレにとっては安らぎの一時でした。

自身の弱さ

 

他人に恐れられる事が唯一の自分を守る手段

になってしまったオレは、今でもこの鎧を脱ぐ事が出来ないでいる。

しかし中身は傷付く事に対して0耐性。
非常に臆病で、困難から逃げ、自分を肯定する事で自我を保つ性格は変わらない。

 

逃げ癖は実に厄介で、今まで部活であったり、仕事で人間関係に躓くとすぐに逃げ出す様になっていました。

 

いじめのトラウマで、

 

何気無い冗談

 

すらも、自分を否定する言葉の矢の様に感じ、なるべく人と関わらない様に生きてきました。

 

ある仕事で主任を任された時に、経営者に毎日の様に

数字を出せ、結果を出せ

 

と、毎日の様に詰められ、週一日の休み、祝日、盆、正月の関係無い仕事で疲れ果てていたオレは次第に壊れて行く事になります。

 

元々無口なのに更に輪を掛け、仕事の連絡事項以外は家族とも友人とも話す事は無くなり
、仕事以外は一歩も外に出れず、ひたすら天井を見つめるだけの生活が続きました。

 

熟睡なんて出来ません。
いつも汗だくで夜中に飛び起きてました。

 

悪夢で。

 

次第にやつれていったオレに嫁は困惑していきます。

心配はしてくれるのですが、鬱に対して知識も耐性も無い嫁は当時そうとう悩んだみたいです。

精神科に行ってくる

 

そう自分で嫁に伝えたのは倒れる寸前の事だった。

嫁に付き添われ近くの病院へ

初めての心療内科受診の為、どこの病院に行って良いか分からなかったオレと嫁は看板に心療内科と書かれていた近くの病院に行ってみたんだ。

ガランとした待合室を抜け受付に

初診なんですが・・・

と、告げると一枚の紙を渡されボソボソとした聞き取りずらい声で

・・記入お願いします。

と言われ、窓際に設置された机に座り書き込みを始めた。

各項目に症状などを細かく記入し、受付に提出すると

・・お呼びするまでしばらくお待ちください

との事。

角の破れた茶色い長椅子に嫁と二人で不安を分け合うように寄り添い腰かけた。

オレさん、どうぞ

年配の看護師がベージュのカーテンを開けながらオレを呼んだ。

嫁に待っててと言い残し、診察室に入ると

どうしました?

と、先ほど記入した問診票を見ながら眼鏡をかけた横分け頭の医者が、オレに座る様に促した。

眠れないんです。

を皮切りに辛かった体調や心の内を淡々と聞いて貰った。

しばらく他人と話してなかったオレの言動はたどたどしく、言葉を発する事ですら相当のエネルギーを要した。

一通り話終えると

ん~、適応障害の疑いがありますね。

しばらく休んでください。

軽い睡眠薬出しますんで、様子見てください。

と、拍子抜けするような一言。

(辛くて、苦しくてどうしようもないから来たのに・・・)

その思いを言葉にすることなく病院を後にした。

どうしようもない不安

帰りの車の中で一連のやりとりを嫁に説明しオレが納得出来ない旨を伝えると

別の病院行こ

そう言って携帯で調べた近隣の病院にその足で向かった。

すみません、予約でいっぱいで新規の患者さんは診れないんです。

同じ文言で3件断られた。

切羽詰まったから来たのに・・・3か月待ちってなんだよ・・

途方に暮れながら、その日は家路についた。

ねぇ、ここ予約不要だって

嫁が携帯を差し出したのはその日の夜の事だった。

紹介文によると、予約不要、先着順に診療します。との事。

早速翌朝訪ねてみることにした。

駅から徒歩3分程の商業ビルの3階にその診療所はあった。

入口でスリッパに履き替え、自動ドアをくぐると待合室の中には沢山の本棚があり、児童書から難しそうな専門書までずらりと並んでいた。

保険証を受付に出し

初診なんですが・・

と告げるとお決まりの流れで問診票を書き、しばらく待たされた。

名前を呼ばれ、診察室のドアを開けると目を疑った。

部屋中に積み上げられた無数の本

無造作に飾られた電車やら飛行機やらの模型

その奥にかなりお歳を召されたおじいさん先生がいた。

これまでの経緯を子供の頃の事も含め詳細に語った。

先生はただただ話を聞き、

鬱状態ですね。

まずは軽い安定剤と睡眠薬を出しますんで様子を見ますが苦しかったらすぐ来てください。

と言って数種類の薬を処方された。

公式に鬱認定されたのがこの日になる。

早速家に帰り、薬を携帯サイトで検索してみた。

アモキサン

レキソタン

レキソタンはともかくアモキサンって強い薬なんじゃね?

そんな疑問もあったが状況は切迫しており、否応なしに飲む選択肢しか無かった。

オレが馬鹿なのか、単純なのか、薬を飲んでいるという安心感からか分からないが、だんだんと眠れる様にはなっていった。

しかし、起きている時は常に嫌な記憶が付きまとい、考えないようにしても次から次へと答えの出ない不安要素に頭の中が支配されていた。

布団から起き上がる事も相当なエネルギーでトイレ以外はずっと寝たまま天井の模様を目で追っていた。

飯も食えず、風呂にも入れず、出来る事といえば同じ鬱患者の体験記を読み自分に重ね合わせ束の間の安心を得る事だけ。

嫁は基本的にほっておいてくれたが、心配かけている罪悪感でオレの心ははち切れそうだった。

ただただ無作為で生産性のない時間を無駄に消費しながら薬のなくなる2週間目

改めて通院したオレは、この2週間を有りのまま伝えた。

病院に通ってはみたものの

薬は合ってると思うから量を増やしますね。

と言われ同じ薬で内容量が増えた物を1カ月分処方された。

適応障害やら鬱状態やら言われていたが、この日また新たに

双極性障害Ⅱ型と言われた。

躁の自覚は全く無かったが、希死念慮があるという事で暫定的に双極性障害なんだそうだ。

そこから3カ月位は薬の変化は無く、効いてるのか効いて無いのか分からないまま日々辛い生活が続いていた。

しかし元々の性格のせいかマイナス思考は収まらず、薬の種類も量も増え、悪い意味で停滞していった。

1年が過ぎ、冬の気配が近づいていたころ精神障害者手帳の申請をする事にした。

手続きの方法などはここでは割愛させて下さい。

医師に診断書を書いて貰い、関係各所をたらい回しにされ、ようやく出来た手帳には

精神障害2級

と書いてあった。

手帳を貰ったからといって体調が回復する訳では無く、経済的に切迫していたので、少しでも足しになればと思い、障害年金を貰おうと思っての手帳取得だった。

しかし、国の機関というのは弱者に優しいふりして実は厳しく、数々の難癖をつけ審査を通してくれる事は無かった。

貧困と精神と体調の悪さで押し潰されそうだった。

本気で自殺も考えた。

死にたい、殺してくれと言って嫁を泣かせた事もあった。

それでも嫁はオレを見捨てる事無く、働きに出てくれていた。

好きな飲み会もいかず、数年前にしまむらで買った服を着回し、不安で堪らない心をひた隠しにして、なるべく笑顔でオレに接してくれていた。

この頃になると手帳だの年金だのの手続きで強制的に動き回る事が多く、それが良かったのか、大分動けて、気持ちも安定してたと思う。

動きだす勇気

仕事探さなきゃ

そう思い始め、ハローワークの障害者求人を見る事になる。

身体障害者の方と違い、精神障害者の枠は極めて少なく、まだまだ偏見が色濃く残るこの社会で精神障害者が働くハードルは高かった。

作業所に申し込んだらいかがですか?

ハローワークの障害者担当に言われるがまま作業所の説明を受け申し込む事になる。

作業所には二種類あり、AとBが

あった。

A型作業所は割と深刻な方々がリハビリ目的で作業をする所で、非常に少ないが作業手当もでる所。

B型作業所は軽度、もしくはそれ相当の方が5時間程度の作業をし、それなりの手当を貰える所。

だと言うので深く考えずにB型作業所に行く事にした。

ここに通うのにも手続きが面倒で関係各所をたらい回しにされた。

いざ通い始めるとそこには知的障害の方や身体障害の方、オレよりもっと深刻な精神障害の方が作業しており、社会復帰に向けて皆必死だった。

10日位通ったある日

配達の仕事やってみないか?

と知り合いから誘いを受け、今の生業になった。

作業所を退所し、手帳を自主返納したオレは天職に出会う事になった。

配達の仕事は大変な事も多いが1人仕事だ。

運転中は当然1人だし、好きな煙草も好きな時に吸える。

お客さんとの会話なんてほとんど無く、軽い挨拶程度のものだ。

地図を見るのもすぐに慣れた。

段々と地図を見る事も無くなり、番地を見れば頭に家の場所がすぐに浮かぶようになった。

オレのやってる配送は請負なんで収入は安定しないし、低い。

けど、季節の移り変わりや各家々の出産、結婚、葬式などの移り変わりも目に出来、顔を合わしたら挨拶する程度の知り合いも沢山増えた。

地域の学校や病院や商店の方々にも顔を覚えられると色々と有益な情報も入ってくる。

配達エリアの犬達とはみんな友達だ。

今はもう薬は飲んでない。

何故ならオレは薬では治らなかったから。

一時的に脳の機能を麻痺させても、性格までは誤魔化せない。

向き合い、受け入れ、許すだけなんです。

お爺さん先生の病院には1年通いましたが、意思の疎通が上手くいかず、病院を変えました。

次の病院にも1年通いました。

3分診療で、薬価の高い薬を処方されては合わないかもと次々と薬を変えられ、不信感を覚え通院を止めました。

後々、製薬会社の営業マンの義理の兄に聞いたところ、患者さんの評判がすこぶる悪かったそうです。

薬の離脱症状、副作用、色々経験しました。

今でも落ちる時はとことん落ちます。

認知療法、呼吸法、アロマテラピー、色々試しました。

心の深い所では何も変わってません。

向き合うしかないんです。

受け入れるしかないんです。

許すだけなんです。

鬱病に完治は無いと思います。

今は所謂、寛解と言う状態です。

でも、いつ、如何なるキッカケで元に戻るかも知れない恐怖は常にあります。

でも、仕方ないよ。

これがオレなんだから(^-^)

今、鬱病で苦しんでいる全ての方の希望に少しでもなれたら幸いです。

ただただ、あなたの身近な鬱病で苦しんでる方、鬱状態な方々に読んで頂きたいので、よろしければTwitter、などでシェアして頂けると有難いです。

※ 本文中の細かい描写や、言動、解釈に疑問、不快を感じる方に対しては私の文章力の無さ、知識不足のせいですので、この場を借りて謝罪いたします。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

 

 

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コメント

  1. haruna333 より:

    色々と大変な思いをしてらしたんですね。
    軽妙な文章と、具沢山かつ誠実さの溢れた内容に毎回驚かされています。
    応援してます!

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